デジタル復元

2017年8月24日、

私達夫婦が所有するスライドフィルムによる科学映画上映

『南極探検の歴史――南極1』が、
東京大学総合研究博物館インターメディアテクで上映されました。

この上映会は、日本写真新聞社の教育用スライド
南極探検シリーズ第1巻「南極探検の歴史(1956年頃)」を
株式会社 東京光音    
フィルム/ビデオ/サウンド/デジタル修復・復元センター
の御尽力によりデジタルデータ化に成功したものを使用しました。

当時の上映の詳細は ↓ コチラ 
http://www.intermediatheque.jp/ja/schedule/view/id/IMT0149

 

本当に質の悪いのは……

さて、あれこれ詭弁を労して来た某党の元幹事長だが、党から追い出され、自身のネット上の戯言を突っ込まれたり、理事長を務める大学からは辞任を求められたりと大変な御様子ですが………

2階の御老人が事実上の引退を条件に厳罰を逃れたのに対し、未練たらたらで厳罰に処されたのは対照的です。

まぁ、熱(ほとぼり)が冷めた頃に、シレっと復党しちゃうんでしょうけど。

こう云った人には、取り巻きやらタニマチやらが居てヨイショするものだから、まぁ舞い上がっちゃうんでしょうね!

或る意味で、そう云った周りの連中が金に汚い政治家を増長させ育んでいる訳なのですが、たぶん自覚はして無いんでしょうねぇ?

伯母の思い出

伯母は戦中は代理教員、戦後は日航のパーサーとなり、後に米国人写真家と結婚し渡米、苦労して米国市民権を得、ハリウッドでデザインの仕事をしつつ女優もしていたと云う波乱の人生を歩んだ人でした。

未だ1ドルが360円だった時代、ロサンゼルス東京間が直行で無くハワイで給油していた時代。

伯母は3年に一度の里帰りで、山ほどのパイナップルとジョニ黒を買い込んで羽田に降り立つ姿を覚えています。

私の中では兼高かおる みたいな人でした。

今はカリフォルニアの大地に眠っています。

画像は1962年公開の映画「ハタリ!(HATARI!)」のスタジオセットにて、主演のジョン・ウェインと伯母。

善き人は虹の橋の向こうに……

3月27日に、

若き冒険家が病で亡くなった。

私達夫婦とは善き友人でありました。

彼は極地での冒険を!

私達は智の冒険を!

そう語り合った人でした。

金と権力にしがみ付く魑魅魍魎とは違う人でした。

どうか安良かに。

私達は、もう少し頑張ってみます。

新たなる冒険の始まり・・・

2014年1月19日、東京大学総合研究博物館インターメディアテクにて、私と妻の研究が特別展示という形で発表される事になった。同日の学会発表と並行してである。私と妻は研究者としての専門教育は受けていない。自然科学系の話が好きな極普通の”おぢさん”と”おばさん”である。その”普通の夫婦”が興味本位で調査検証したのは『幻の剥製』でした。

時は明治、我が国初の南極探検を成功させた”白瀬南極探検隊”は、一体のペンギンの剥製を日本にもたらしました。同隊の後援会長だった大隈重信を介して、このペンギンの剥製は明治天皇に献上されました。以来幾星霜100年余りの間に、このペンギンの剥製は行方知れずになってしまいます。幾人かの学者や研究者が、その数奇な剥製を探しますが発見に至らず、処分廃棄されたものだとされていました。2013年に私共夫婦が発見する迄は!

特別展示『あるペンギンの辿った歴史』 - INTERMEDIATHEQUE